道祖神は村の境を守り、村人に安泰を、旅人に安全をもたらす神です。
やさしい微笑みをうかべ心安らかにさせてくれる神々は、私たちを見守っています。
村内21の道祖神
- 筒井筒上大池(つついづつかみおおいけ)
- 豆沢のじじばば
- 袖中祝言(そでなかしゅうげん)
- 大池の頭領
- 筒井筒中大池(つついづつなかおおいけ)
- 十二単衣
- 山口の丸髷
- つつましき女神
- 素足の道祖神
- 筒井筒小坂
- まぼろしの双像
- 酒樽
- 筒井筒下大池
- 小人のささやき
- 童唄
- 路傍の情熱(二)
- 車屋美人
- 四良右門兼氏
- 路傍の情熱(一)
- 復活
- 水色山路
筒井筒上大池(つついづつかみおおいけ)
上大池豆沢
(寛政7年 1795年)
下大池(しもおおいけ)、小坂(おさか)の筒井筒の道祖神と同期同系の作と思われる。女神の垂髪がつんと跳ね上がっているが、これは顔を前にうつむいたために髪が動いた瞬間のようにもとれる。
豆沢のじじばば
上大池豆沢
(嘉永4年 1851年)
衣冠束帯、十二単衣の公家風の衣裳をまとった老双体像。男神が女神の親指を握っているのと、男神の体がやや女神側に傾き、女神がやや押されたように後ろに体が傾いているのが特徴的。
袖中祝言(そでなかしゅうげん)
上大池青木沢(あおきざわ)北
(嘉永4年 1851年)
容貌・風姿・着付け等から見て村の長老の印象をうける。顔には余裕のある笑みを含んだ顔をしている。この双神は媒酌人であろうか。
大池の頭領
上大池中耕地(なかこうち)
(嘉永5年 1852年)
宮廷生活を思わせる貴族スタイルとは違った堂々たる威厳をそなえた道祖神である。男神は狩衣、女神が小袿(こうちぎ)であるが、共に括袴(くりばかま)をきりりと着け、いかにも農民の頭領らしい着付である。
筒井筒中大池(つついづつなかおおいけ)
中大池上手東(わでひがし)
(寛政7年 1795年)
双神は貴族スタイルで、男神は折鳥帽子、女神は長い垂髪を束ねている。体も足も双神はぴったりくっつけ、お互いに肩に手をかけ、女神が男神の手をしっかりと握っている。
十二単衣
小坂東殿(ひがしとの)
(年代不明)
双神の袖口に見える衣服の重ねも美しい。衣服のふくらみも厚みも共に表現されている。とにかく衣装が整然としていて端正である。半肉彫りではあるが、大変立体的な感じがする素晴らしい道祖神である。
山口の丸髷
小坂山口
(正徳5年 1715年)
寛政7年(1795年)、この小坂山口地区には道祖神がなかったので、どこからか嫁入(盗む)させようと話し合い、朝日村古見芦ノ久保より嫁入させることとなった。力のある2、3人で道祖神を背負い山道を越えて持ってきたという。このときの状況を記した古文書が朝日村で見つかっている。
つつましき女神
小坂大日(だいにち)
(嘉永5年 1852年)
「大池の頭領」と同一石工の作であると思われる。特徴は少し小ぶりで顔立ちが柔和な感じになっている。また男神が積極的に女神の手を握っているため、こう名づけられた。
素足の道祖神
小坂日向(ひなた)
(寛政7年 1795年)
双像は大きな碑身の向かって左側に彫られている。ほかの道祖神に比べて華麗さや優雅さがなく、中区が狭いと言わんばかりの大男と大女の姿。貴族スタイルではあるが、顔つきや体つきから生活の匂いと躍動感あふれる珍しい双像で、しかも何を慌てたのか素足。ちゃんと足の指まで刻まれている。
筒井筒小坂
小坂殿
(寛政8年 1796年)
平安朝のみやびやかな宮廷生活を思わせる。ところが、他の筒井筒と違って、衣裳は細部を省略して抽象化されているのが特徴である。
まぼろしの双像
小坂堂村上
(年代不明)
分厚い碑身の向かって右に双像が彫られている。像の輪郭がぼけてしまっていて男女の区別がつかない。しかし、双像が向き合ったその姿の美しさは、江戸の遊女を想像させるような肩から腰、裾にいたる線に現れており、浮世絵から抜け出たかのよう。当時の庶民の憧れがうかがえ、ほのぼのとした温かさをも感じられる。
酒樽
小坂下北沖
(嘉永2年 1849年)
男神、女神が立つ土台に大きな酒樽が添彫りしてあることから名づけられた。祝言に酒は付き物。うんと飲みたい、飲ませたいという施主達の願望が彫り込まれたのであろうか。
筒井筒下大池
下大池公民館前
(寛政7年 1795年)
つぶらな瞳で鼻筋の通った優雅な顔立ち、若さと初々しさを感じさせることから、「幼なじみ」という意味をこめて「筒井筒」と名づけられた。彫像は大変優雅な作で、その美しさは早くからフランス、カナダ、アメリカなど海外まで知られた。山形村のというより信州の、いや日本を代表する道祖神である。
小人のささやき
小坂中原町
(年代不明)
路傍の情熱と構図は一緒だが、ちょっとみると小さな双神がささやきあっているようにも見える。碑身の大きさに対して像が小柄で頭の上の部分が広く、この部分に最初は文字が刻んであったようである。
童唄
上竹田建部神社
(年代不明)
表情を感じさせない珍しく変わった道祖神である。仲のいい幼い2人の子どもが手をつないで道端に立っている感じがする。道に迷った子どもを連れていく道祖神であろうか。子どもを守る専門の道祖神でもあろうか。
路傍の情熱(二)
上竹田建部神社
(年代不明)
男神が女神の肩をぐっと引き寄せ、女神は法衣の裾を広げている。男神の情熱が迫ってくるような容姿でありながら、双神は互いに頬をすり寄せて、何かを待っているように正面をみている。
車屋美人
下竹田唐沢
(弘化2年 1845年)
男神が跪いている女神を引き起こそうとしているかのように手を引いている。よく見れば男神は緊張していて、女神は初々しい。清楚で惚々するような祝言像の構図である。
四良右門兼氏
下竹田北村
(嘉永3年 1850年)
お互いに手を相手の肩にかけ握手をしながら正面を向いて立っている。特徴のある顔立ちで、男神は太い眉毛と大きな目の堂々たる武人を思わせ、女神は更に若々しく、ふくよかで愛想のいい笑みを浮かべている。
路傍の情熱(一)
下竹田中通り
(年代不明)
蓮の上の極楽浄土で100年も200年も好いて好かれた双神が愛し合っている幸せな道祖神である。男神が向かって左側、女神が向かって右側に立ち、蓮の花が添い彫りされた明らかな仏教系道祖神といえる。
復活
ふるさと伝承館内
(年代不明)
4番、大池の頭領の土台である石垣の中に、2つに割られ入れ込まれていたものを発見し、現在地へ移転、再び元の姿を取り戻した。
水色山路
ミラ・フード館前
(平成2年)
サラダ街道沿い、村の中央公園の碑があるミラ・フード館の入り口右にあり、来館者の安全を見守っている。平成2年に村の有志が制作した映画「水色山路」のドラマに“出演”した平成生まれの道祖神。男神は烏帽子に衣冠束帯、女神の手を握っている。女神の髪は桃割れに結い、落ち着いた清楚な雰囲気を醸し出している。