山形村指定文化財の慈眼山 清水寺の紹介
本堂
円通門
標高1,200m、松本平を一望する清水高原にあり、下界の喧騒とは無縁な静寂で荘厳な雰囲気がただよう。
寺伝によると、天平元年(729年)の春、釋行基が廻って来られ、自ら千手観音の尊像を彫って安置し創設したと言われる。その後延暦年間、坂上田村麻呂が蝦夷征伐の際、本村清水寺を参詣し、征伐の成功を祈願したところ、霊験あらたかであったため、本村清水寺の千手観音を京都へ移し、それが京都東山にある清水寺になったと伝えられている。 その真偽の程は定かではないが、現在の本尊は清水様式と呼ばれる千手観世音菩薩像で、京都清水寺の千手観世音菩薩像と同じ様式(清水様式の千手観世音菩薩像は全国に数十体しかないと言われる)である。 また、全国には100程「清水寺」の字を持つ寺院があるが、その多くは「せいすいじ」と読み、「きよみずでら」と読む寺院は少数である。京都清水寺との縁を感じずにはいられない。
仁王門から山門へ延びる参道には百体観音があり、その容貌の柔和さ、敬虔さは見飽きることがなく、いにしえの浪漫が漂う。その仁王門には、阿吽二体の仁王像が安置されているが、石造であり大変に珍しい。松本平では最も古格であり、その造形は中国に通ずる大陸的な格調を持つと言われる。また鐘楼の鐘は、太平洋戦争の折供出されてしまったが、昭和28年、人間国宝香取秀真氏、息子の正彦氏により再鋳されたもので、現代の名鐘である。
寺は真言密教の祈願寺で檀家を持たないため、度々荒廃にさらされてきた。しかし現在は村民の心のよりどころとして、村民を会員とした清水寺保存会が組織され、保存管理にあたっている。
参道
前立観音像(千手観世音菩薩像)
百体観音
百体観音とヒメシャガ
ドローン映像
普段観ることのできない角度からの映像をお楽しみください。